正義と価値観、法律の違い…

一昨日、ラホールの近郊で、「キリスト教徒の男性とその妊娠4か月の妻が、イスラム教の聖典コーランを冒涜(ぼうとく)したとのことで、怒ったイスラム教徒の集団から暴行を受けて死亡した。夫婦の遺体は職場のれんが工場にある窯で焼かれたという。警察は5日、事件に関連し44人を逮捕した」との報道…

欧米日、イスラーム国以外から見れば、なんとも残酷な話で容認できることではないし、裁判を待たずに私的制裁をしたのは、これまた罪に問われるのだが…  
そもそもパキスタンは英領インドからの分離独立の際に、「イスラームに基づいて」の国づくりをした。パキスタンイスラーム(教)に基づく国家であることを世界は認識すべきではないのかな。サウジアラビアなどから比べれば、まだまだ戒律は緩やかだとも思えるが。だからイスラームの原点へ戻ろうとする原理主義者がいて、さらには戻るための「闘争」までしようとする人たちも居るのだから。

欧米日から見れば「人権」に関わることも、実はパキスタン憲法イスラームの理念)にのっとっている。これをとやかく言うのは…俗にいう内政干渉の類でなかろうか。
現在、シリアやイラクで「イスラーム国」の建設を目指している武装勢力も… どの立位置でモノを見るかということで報道のされ方も変わって来る。「イスラーム国」の建設を目指している彼らには彼らなりの、正義や価値観があるだろうから、欧米日の報道だけが正しいとも言い切れぬ。
なんやら突飛な奴隷制復活とか、そうした事柄だけを取り上げ、報道しているようにも想えるが…

パキスタンではイスラーム(教)に関しては言論の自由はなく、違反した場合投獄や死刑に処される。 またイスラム教徒が他の宗教に改宗することも国法で禁止されており、違反した場合死刑である。
聖典・啓典(コーラン)には信仰内容や信者のつとめだけでなく、道徳、政治、経済などの社会生活のあり方についても記している。イスラーム社会では宗教と世俗が分離されず、生活のすべてが宗教的営みとなっており、啓典は神の言葉としてイスラーム教徒の全生活、全行動を規制している。

こうしたパキスタンだが、政府は宗教的出版活動自体を制限してはいない。ただし宗教に関連する発言の権利は制限されている。
イスラーム教への反対論を語ること、イスラーム教あるいは預言者ムハンマッドを侮辱・攻撃する出版は禁じられている。 またパキスタンの刑法では、ムスリムイスラーム教徒)が預言者として信じるムハンマッドの名を冒涜する者、すべてに死刑を命じている。また、預言者ムハンマッドの口を通して語られた神の言葉、神から預言者へ下された啓典(コーラン)を冒涜する者にも無期刑を命じている。
だからノーベル賞を受賞したマララの自伝は、イスラーム批判を行ったと言えるので嫌悪の対象となったのであろう。