パキスタンだけが異常なのか?

またまた、ご無沙汰してしまいました。病気での中断ではありませぬ!
単に老化が進んで根気がなくなっただけかと、自分で診断しておりまする…  しかしパキスタン事情を何処かへメモ程度でも残しておかないと、毎年の天候や当地事情が残らないのが気にかかる…というわけでメモ再開!! 

さて、地球の温暖化が言われて久しい。しかしパキスタンに関しては6~7年間も気温が例年より低く過ごし易い夏が続いていた。でも今夏は揺り返しのような酷暑で首都イスラマバードでも48℃の日があり(南部では53℃のところも)、そして6月中旬から7月上旬には45℃の日が続いた。一口に45℃というが風呂の温度が42℃前後であることを思えば、ドライヤーの熱気をもろに受け呼吸も出来ないような日常がいかに過酷かは推測ができるだろう。 
そして9月も10日になろうとしているのにモンスーンは明けず、毎日、降ったりやんだりの雨。30数年のパキスタン暮らしで、9月上旬のモンスーン明けは1回だけだったと記憶する。春先も雨が続き、5月いっぱいまでは気温が低く暮らしやすかった(そのおかげで農作物や果物は不作)。
だが5月に入ったら雨が降らず(万が一を考え、自衛のために井戸を掘ってあったが)地下水脈が下がって使えず、1日おきにある2時間の給水を(どこの家にでも備えられている)水タンクに溜めて使う生活では庭の水やりもままならず、芝生は褐色、庭木の多くも枯れた。 酷暑、水なし、シャワーも1分間だけ… 

しかし問題はそれらではなく内政の失敗で停電時間が飛躍的に増えたことだ。 首都でさえも1日8回8時間の計画停電、地方都市に至っては日に20~22時間もの停電だ。工場は稼働できず失業者は増え、強盗や泥棒も多くなって治安はさらに悪化。国産品は市場から激減、トイレットペーパーや蚊取り線香などが店頭にないこともあった。 
パキスタン大自然や人間、途上国にまつわる諸々の不便さ、どんな悪い部分をも含めて「パキスタンが大好きで、大好きで」と言い切り30数年間も暮らして来たオバハンでさえ、昨今のパキスタンには絶望に近い思いを抱いている。しかしオバハンにはイザとなれば逃げて帰れる国がある。パキスタンの一般国民は何処へ逃げられるというのか??