長距離巡航ミサイル

熱気がある昼間なので庭で冷たいコーヒーを手にしながら、ハラリ、ハラリと落ちて来る黄ばんだ葉を眺めている。まだ本格的な秋には遠く、落ち葉がハラハラと際限なく降るようにとまでは行かない。上田敏の訳詩「秋の日のヴィオロンのため息の身に染みて、ひたぶるにうら悲し」をフト思い出したが、その先がいくら考えても一向に思い出せない。中学生の時か高校生の時か、いつ習った詩なのかも思い出せないが、何だかとても懐かしく感じる「時代」の記憶だ。

北朝鮮はきょう未明に「核戦争の場合に備えていると『敵に警告』するため、長距離巡航ミサイル2発を含む模擬戦術核攻撃訓練を実施した」とは、国営朝鮮中央通信社の報道だ。北朝鮮アメリカと韓国に対する軍事抑止力を強化すると述べているが・・先日、たまたま手にした麻野涼「北からの使者」という本、あらためて北朝鮮の内情に想いをはせた。どういうわけか大昔から北朝鮮には関心が深く、関係本は手にする機会が多い。1950年代末頃に在日朝鮮人の帰還事業で向こうへ渡って行った友人3人のことを思い出すことが多いせいだとも思う。手にする本の内容から、北朝鮮内部の悲惨さは通常の日本人の想像の域を超えて言語に絶する・・というものが多い。そして、それら内容には真実という一面も多いことを。あんなに悲惨な国情・一般国民が暮らす中で、巡航ミサイルを次々に発射、テストする首領サマや、その取り巻きに神経に時折り考え込んでしまう。彼らににとって国民とは何であろうか?と。