初夢・・

明け方に、明るい夢ではなく重苦しい夢を見ていたような気がする。河が急増水して渡れない、急峻な岩場が登れない「どうしょう・・」などの重い夢を見るようになったのは、70歳を過ぎてからだ。子供の頃から大の勉強嫌い、それなのに暇が出来たからと大学の研究科へ入ったのが「悪夢」の切っ掛けだ。毎週のように出される宿題というか課題を必死でこなしレポートの作成、ボケかけた頭を叱咤激励。その重圧が毎週のよう「渡れない、登れない」という悪夢になった。それまでは周囲のことを考えることもなく、自分のやりたいように生きて来たつもり。パキスタンやアフガンの人々・社会はそんな我儘なオバハンを受け入れてくれていた。それに対する感謝はつきない。で、その代わりにと自分の出来る事柄でお返しを・・と様々なボランティアもして来たつもりだが、もしかしたら足りないのかも。う~~む、いまのオバハンには何が出来るのか?もちろん継続するボランティアもあるが、新たに出来ることを考え実行する2022年にしようかな。
一昨年コロナ禍以降、滞っていた日本からの郵便物がパキスタンへ届くようになった。ペシャワール会からのカレンダーを初め、知り合いからの賀状も届いた。ペシャワール会のカレンダーを見ながら、中村先生のおっしゃった「言葉」の一つ一つが身に染みる。