カシミール・デー

立春、首都は今年に入って2度目の雨。空は一昨日から厚い雲におおわれたままだが、気温は確実に高くなった。最高気温は18℃までしか上がらなかったが、昨日の最低気温は7℃だ。

本日はカシミール・デー、道路には大きな立看板、「独立」の文字が躍っていた。ほとんどのの学校と役所は休日。インド人たちは自宅待機だという。街には走る車もなく閑散。大統領官邸前の広場では「式典」の用意が進みつつあった。ザルダリ政権の頃は「式典」すべてがケチられていたが、ナワーズ政権になってムハンマッドの生誕記念日等では祝砲が復活したし、パキスタンらしくなった。 それにしてもザルダリは貯めこむ一方で、祝砲ひとつ鳴らさなかったな。

パキスタンはインドと共にイギリスの植民地支配から1947年に分離独立したが、その時以来、カシミールについてはパキスタンとインドが共に領有を主張し、3度戦火を交え、帰属をめぐる対立が続いている。
印パ間には様々な確執があるが、中でもこのカシミール問題はパキスタンにとって譲れないことの一つだ。

カシミールはインド・カシミールと、パキスタンカシミール、アザド(自由)・カシミールと北方地域に分かれ、1947年から印パ国境帰属未定の国連管理ライン下で、それぞれが国連の調停により実効支配して来た。アザド・カシミールも北方地域も事実上はパキスタンの行政管理下であったが、帰属未定地域ということで、パキスタンであってパキスタンではない中途半端な地域だった。

しかし2009年8月末、北方地域は大統領名と内閣によって「ギルギット・バルティスターン州」として格上げがなされ、自治権が与えられた・・・・・とは言うものの、自治権があるのはごく一部の行政部門で、いまだに正式な州とも言えず中途半端であることには変わりがない。(旧)北方地域の住民には国政選挙に対する選挙権も議決権もない。