ムシャラフ元大統領の帰国

2月末に喉の痛み少し、風邪のひきかけかと思える症状、熱ぽいなぁと思いながらも所要があって日本へ向かったら… マスクで厳重に防護し薬も飲んでいたが北京(機内)で悪化させた。結局、日本では想像を絶する?酷い咳の度に骨折したかのような激痛、身動きもままならず最低限の仕事だけを済ませて帰パ。まるまる1ヶ月を大損した気分。ようやく今朝は27日ぶりに、せめて半日でも仕事をしなくっちゃ…とPCを立ち上げた。歳を取ると、たかが風邪とはいえ余病も併発して治りが悪いとしみじみ思って悲しい。普段は家人が風邪をひくたびに鼻先で嘲笑っていたのを反省。今までが元気イッパイの人生だっただけに情けない。

オバハンがパキスタンへ帰り着いた翌日、ムシャラフ大統領が4年間の海外亡命生活を終え帰パ。5月11日(予定)の総選挙に出馬すると。かってはムシャラフの大ファンだったオバハンだが、大統領の地位を勘違いしたような強権を発揮し続けた最後の2年間の政治生活を見ているだけに、帰国を喜んで良いのか何なのかちょっぴり複雑な気分だ。
ただ…言えることは、再びムシャラフ元大統領を必要とする「国」がムシャラフの帰国を可能にし、現大統領ザルダリに見切りをつけパキスタンを自由に操れるコマを手中にしたいと考えたのだろう… 
ムシャラフアメリカの言いなりになって対テロ戦争の先頭に立たされたこともあって、テロ勢力からは「暗殺」の宣告を受けているが、ムシャラフが「暗殺」されることもなく政治の舞台に戻れれば、どこの「国」がムシャラフ帰国の「絵」を描いたのか1年もすれば判ることだろう。すでにムシャラフが下院選に立候補する2地区が決まっているという。

PPP(与党、パキスタン人民党)による連立政権が5年間の任期を満了した。当初3ヶ月ももたないのではないかと危惧された政府だったが、アメリカ様の強力な後押しや金、邪魔者を容赦なく消す強硬路線によって数々の失政や腐敗モロモロ、すべてを乗り切って来た。民主選挙で選ばれた政府が任期をまっとうしたのは、パキスタン65年の歴史上、初めてとなるらしいが、真の民主主義とは言い難かったのを国民を初め「大国サマ」も知っている。