ムシャラフ元大統領に死刑の判決

昨17日午後2時過ぎ、ムシャラフ元大統領に死刑の判決が出た。とは言え、ムシャラフ元大統領はドバイにいるから本人不在での裁判だ。罪状は「在任中の2007年に自らの大統領選挙への出馬資格をめぐる裁判中、自分に不利な判決が出るのを避けるため、非常事態宣言を出して憲法の効力を停止した」と、報道されている。  
2007年当時のパキスタンは、アメリカに後押しをされ過信したムシャラフによる独裁的な政権になっていた。ムシャラフの評判が最低最悪に落ちた時期でもある。この年、首都では「赤いモスク事件」が起こり5000人もの神学生がモスクに籠城、政府発表は267人の犠牲者だったが、実際には1000人以上の犠牲者を出したとオバハンは今も信じている。2007年のテロによる犠牲者は3500人くらいであり、翌2008年ムシャラフは退任したがテロ犠牲者は6715人と倍に増え、さらに2009年のテロ犠牲者は1万1704人と国中が大荒れになっていた。

パキスタン憲法では「武力の行使や、武力による威嚇などで憲法を停止させた場合は国家反逆罪で死刑、または無期禁固」となっているらしい。パキスタンは表向き民主国家だが、事実上は準軍事国家だとオバハンは解釈している。政権の背後には常に軍があって、軍のご意向に添えない(添えなくなると)と政権が保てないというのが現状だ。その強大な力を持つ軍のトップであるムシャラフに死刑の判決が出たということは、司法が力を持った。新たなパキスタンが生まれようとしているのか?と、注目に値する。

オバハンはムシャラフが政権を取っての2-3年間くらいは熱烈?な支持者だった。しかし年を追うごとに軍を背景とした権力と、アメリカによる後押しを勘違いし、独裁的になっていくムシャラフに失望して行った。特に第1回目の亡命からパキスタンへ戻った2013年、総選挙に出馬しようとしたムシャラフに関しては、オバハンの家の1軒おいた西隣に選挙事務所を構えたこともあり、テロのとばっちりに怯えながらブログを書いていた(2013年4月頃のブログ)

★小説「赤いモスク」督永忠子著  合同出版から2017年11月に出版しました。