オサマ・ビン・ラディン死亡

アメリカ発、CNNテレビ等が未明からアルカイダオサマ・ビン・ラディンが殺害されたと報じている。
まったく、ちゃんちゃらオカシイとオバハン自身は思うのだ。
当地ではオサマ・ビン・ラディンが(生きていて欲しいと願望する部族地帯の人々はあるにしても)生きていると思う人は、何年も前から少なくなっている。 ムシャラフ大統領自身も口を滑らせた「死亡」、当地では周知の事実を、何時、アメリカがオサマ・ビン・ラディンの死亡を発表するのか?という疑問があっただけだ。 
ようやくオサマ・ビン・ラディンも役割が終わったということだろう。

リビアの首都でカダフィの息子や孫が、NATOを中心とする多国籍軍によって4月末に空爆で殺された。
それに抗議するリビアの市民らが、英国など複数の国の大使館や関係施設を襲撃したという。今後はアフガン(パキスタン)ではなく、金儲けのための戦争の中心はリビア周辺になると踏んだのであろう。
まったく、アメリカやイギリスの考えそうなことだ。 アフガンへは2001年の10月から自分たちだけの正義と理屈を振り回して空爆を開始した。オサマ・ビン・ラディン911同時多発テロとは無関係というFBIの公式レポートが出ていたにもかかわらず。  そして、その後、きょうまでにほぼ10年間もアフガンとパキスタン多国籍軍は掻き回し続けた。
過去のアメリカの歴史を見るが良い、ベトナムしかり、大体がほぼ10年で手を引き次の新しい獲物を見つけ戦争の場をシフトしているではないか…

リビア空爆作戦の司令官は、「空爆は軍事施設に対するもので、個人は標的にしていない。カダフィらの暗殺は狙っておらず、市民への攻撃を阻止する目的で軍事作戦を認めた国連安全保障理事会決議に沿って行われている」と強調したらしいが、そういうことは全ての紛争や戦争に関しても彼らは言って来た。第一、国連安保理が物言えば、それが錦の御旗になること自体がオカシイ。
米英を中心とする自分たち基準の「正義」のために、今までに何100万人という民間人が殺されていることか。
過日、パキスタンの主な町で「我々パキスタン人にも人権はある」として、アメリカへの抗議を行った人々の切なる叫びは、弱小国家に生きる人々の声でもあると思う。