引っ越し

治安の悪化で日に日に駐在する外国人が少なくなり、観光客も皆無。ウチの嫁さんの友人たちも家族連れの米英人は早く(昨年晩秋)から帰国し、イタリア人、フランス人たちは「万が一の時には、ペルシャ湾に派遣されている自国の艦隊で脱出になるだろうと話している」とか言う。が、日本政府の海賊掃討船には万が一の時には乗せていただけるのかしら?? 当地の事情を勘案しているのか、いないのか、日本政府はな~~~んも言わないな。ま、何もないと思っているのだろう…

我が日パ旅行社も、たま~~にツアーの『お問い合わせ』があっても、ペシャワール方面やチトラル方面へは一年も前から手配をお断りしている。お客様が「事故の責任は問わない。自己責任でパキスタンへ行く」とおっしゃっても、現実にはそれで済むわけもなく、腰抜け・ヘタレの日パ旅行社としては周辺へ及ぼす影響を考え「お断り」をするしかない状態。 今年は報道関係者と登山客 以外にお客もなさそうで、ついにオバハンの事務所を一番奥まった端の小さな部屋(20平方m)へ移動することにした。しかし同じ建物の中にもかかわらず、なかなか引越しは完了せず、不便をかこった1ヶ月間だった。大体が荷物(資料)等が多すぎるのだ。

特に6000冊以上もある各種日本語の本などは、捨てようかどうしょうかと迷いながら結局は殆どをアチコチへ移動。中には読んでいない本もあって、午後になるとそれ等に読みふけってしまうので事務所は何時までたっても整理整頓が出来ない。ネットの配線も終らずLANのアンテナでは電波が充分に拾えずネットに接続する気にもなれない。座わって落ち着く場所もないので大概は庭で八升豆、銀杏、柿、杏、イチジクの苗を移動させたり庭の模様替えであれだ、これだと庭師泣かせの毎日。
とにかく、お客様が皆無でさしたる仕事も無いから、今朝から母子センターへ来ている。

4月の母子センター訪問は、文字通り「スリルとイライラのパキスタン」を満喫、転げるように逃げ帰った。が、その後は村に逃げ潜んでいるテロリストが逮捕されたのか??外出禁止令も解けたので、懲りずにノコノコやって来た。例年、4月は入学式と修了式を兼ねた式典をする予定だが、先の4月はそれどころではなかった。

イスラマバードでは酷暑の始まりだがギルギットでは若葉が濃くなり始め、バラの花が満開、サクランボがたわわに実って最高の季節だ。しばらくはギルギットで自分の24時間をノー天気に楽しむつもり。