砂漠の民として生を受けていたら・・

久々に物書き、作家サマの真似事でもしてみようと、まずは古い資料やメモリーチップも取り出して渉猟。キチンと整理・整頓していないので僅かな作業でウンザリ。早々とギブアップしそうになったのを誤魔化し、誤魔化し、なだめすかしているうちに、9年前に我が家へ貰われて来た保護犬ターボの写真を見つけた。来て2~3ヶ月らしいのは特徴のある首輪(リボン)を結んでやった記憶から判断。ターボの尖った顔を見ながら、貰って来た当初、息子が「羽をつければ蝙蝠だ。ネズミみたいにも見える」と言っていたのを思い出した。5年もの間に3軒をたらい回しにされ、どこの家でも虐待され続けていた結果、誰に向かっても歯を剝いて威嚇することしか知らないという捻じ曲がった性格のターボだった。が、オバハンにだけはソロリと近寄って来て足元に隠れたことで「選ばれたオバハン!」と責任を感じ、獣医さんのところから貰って来た。その後は5年分の不幸を取り戻してやろうとひたすら可愛がって来たから、この数年は人間不信を忘れ、誰にでもニコニコ顔だったし、ふっくらした顔からは「蝙蝠顔」などの片鱗もなく、息子の言う悪口は記憶の底に沈んでいた。ターボはオバハンのところへ来て虐待されることも、家中のそこかしこにウンチ・おしっこを所かまわず撒き散らしても1度として怒られることもなく、パキスタンで一番、幸せな犬になっていたと想うことでオバハンの心も安らぐ・・傍にいてくれるだけで、どれほど幸せだったか。ターボが逝って2ヶ月になろうとしている・・

きょうは資料の整頓と、もう1つ頑張ったこと。毎夕、明日こそは。毎朝、きょうこそは・・と思いながら実行できない「風呂」。24時間、何時でもお湯は出るのになかなか入れないシャワーや風呂。砂漠にでも生まれていたらシャワーや風呂に縁がなかったろうに・・と思うことがシバシバある。なんで砂漠の民として生を受けなかったのか。