思いつき → 後悔しきり

何時ものように思いつくと深く考えることもなく行動・・しかし、きょうは深く後悔したな。犠牲祭休みで家人もスタッフたちもいない静かな家の中、毎日の犬猫、熱帯魚、小鳥たくさんの餌作り餌やりや庭木の程度では時間が潰せなくなって、家中のカーテンを洗おうと思いついた。暑さが激しい当地では、どの部屋のカーテンも2重になっている。表側にかけてある厚地のカーテンは冬に替えたばかりだし、ガラス窓側(裏側)薄手のレース地に近いカーテンならば「手に負える」だろう。外し洗えばどんなにスッキリするであろうか、確か3年以上は洗っていない筈だと作業開始。休暇明けから帰って来たスタッフと2人で、まずはセッセ・セッセとカーテンを外したな。その数30数枚のうち、とりあえず洗濯機に突っ込めたのは4枚だけ。たった4枚を洗うだけなのに時間のかかること、時間つぶしにと考えた作業にもかかわらず・・直ぐに嫌になったわ。後まだ30枚余もあるではないの・・とりあえず30枚余はそのまま投げ捨てておくことにしよう!休暇が明けて帰って来た洗濯姉さんが片付けてくれるだろう。
高齢医療の専門家である精神科医の和田さんは、高齢者=幸齢者と呼んでおられるそうで、著書もあるのだが、「人間、70歳になれば以前ならば出来ていたことが次第に出来なくなりーー中略ーー悲しい気持ちになる。が、幸齢者を目指した賢明な生き方を目指せ」と。早い話が出来ないことは出来ないと受け入れつつ、まだ残っている出来ること残存機能を維持するように、さらには今の自分に何が出来るのかについて見つめ直したりもせよと。で、オバハンにはカーテン洗いは出来ないと見極めが付いた!!だからと言って出来ないことを悲しんでもいない!!オバハンには細々とした家事が大昔からまったく出来ない、それを忘れていたと改めて気付いただけだ。