スーチー女史は善人か

15年近い自宅軟禁にもかかわらず、民主主義のために闘って来たスーチー女史。ミャンマー国民の間では絶大な信頼があり、一部国民には「女神」とも称されているとも。生まれ育ちを含めた細々とした多くの記事が日本でも掲載、スーチー女史の持つ美貌などから日本ではスーチー女史に対して甘々な、かつ漠然とした好意を持つ人が多いと想う。
だが先日のミャンマーでのクーデター直後、「日本人はスーチーさんを誤解」とする記事をミャンマー取材27年の記者が書いておられて興味深かった。また、2008年「スーチー女史は善人か」なる本を、週刊新潮でコラムを書いている方から頂いた時にも感じた、スーチー女史に対するオバハンの違和感。15年も前からロヒンギャに対する虐待問題はあった等。ずっと前にも書いたが、スーチー女史はパキスタンのマララと同じように、イギリスを中心とした西側諸国によって作られた虚像だとの思いがオバハンには抜け切らない。まぁ、虚像と言い切ってしまえば語弊はあるが・・
2015年の総選挙でスーチー女史の率いる政党が勝利、スーチー女史は大統領府大臣、外務、教育、電力エネルギー大臣の4つを兼任。後、国家顧問のポストを新設して国家顧問に就任(事実上の首相)ミャンマーのトップになった。どこの国でもトップともなれば厳しい批判に晒される。
近年ではミャンマー国内のロヒンギャイスラーム教徒)100万人に対する人道的危機として、国家の最高指導者たるスーチー女史の対応に大きな批判が集まっている。国際司法裁判所ミャンマーを被告として、「ロヒンギャに対する集団虐殺の罪」に裁判まで起こしているが、スーチー女史は国内問題であるからと切って捨てている。そのスーチーの対応に対し、ノーベル平和賞の剥奪を訴える運動が世界中で起こり、実際にいくつかの「賞」は取り消されてもいる。3年前「人権の女神スーチーは悪魔に成り果てたのか・・」と題する記事もある。人間は時、環境などで変わるものだが、スーチー女史の掲げる「仏教の慈」「非暴力」というのはどこへ行ってしまったのかな。