ブット女史暗殺から11年

11年前のきょうは、ブット元首相が暗殺された日だ。本日の新聞ではブット女史に関する記事や広告などでの「追悼」が極端に少なくなっている。ブット女史が銃撃された直後、別の自爆犯によって殆どの証拠が消滅となり、暗殺指令を出した者は未だに不明のままだ。当時、ブット女史が政界に舞い戻ったら一番、打撃を受けるから・・という理由でムシャラフ大統領が暗殺指令を出したと一番に疑われた。次は夫であるザルダリが暗殺したと。中にはアメリカの副大統領だったチェイニーが指令を出した。英国内にいるアルカイダであるという話もあった。さらにはモサドと英国のエージェントであるとも。
いつも想うのは、パキスタンが混乱し発展に遠いのは、ビジョンのあるシッカリした指導者に恵まれないこと。さらには国民の多くが本当の意味での教育から遠いことだ。小学校への就学率は格段に上がった、高等教育機関も激増した。しかし教育の内容はパキスタン建国時の70年前と全く変わっていない。というのも、多民族国家であるパキスタンは「イスラーム」を柱として集まり、新たに生まれた国だから、「イスラーム」の下に国民を統一しなければならないという事情があった。小学校3年生までの国語の教科書は、イスラーム(神の教え)の一字一句を暗記させられる。パキスタン学という授業でもパキスタンの素晴らしさを暗記させられる。他にコーランの暗唱と、暗記一筋の教育に傾いているから自分なりの考えを持てないし、客観的に世界をも見られない。子供の頃に受けた強烈な暗記教育によって思考力が固まってしまっている。だから、今のパキスタンには、いわゆる民主主義が根付かないと想えるオバハンなりの思いだ。
パキスタンに関してだけを言えば、軍事政権の初期には腐敗は少ないし、国民はコントロールされているようだし、徴兵制でもないし・・と、悪い面ではないと何時もおもってしまう。この中途半端な民主主義がパキスタンの発展を阻害していると。そして「民主主義が一番」などと言うまやかしに何時も疑問を感じてしまうのだが。