アフガン、昨21日は和平交渉が始まって以来の戦闘

アフガンの混迷はソ連アメリカに翻弄され40年以上だが、アフガンにも平和な時代があった。1970年代半ばの首都カーブルにはバックパッカーが溢れ、日本からの登山隊も何隊かがヒンズークッシュの山々へ踏査の足を運んでいた。    
1979年ソ連のアフガン侵攻。ソ連は10年後の89年撤退したがアフガンでの戦争では、イスラーム聖戦士(ムジャヒディーン)の抵抗でソ連兵の死者は15000人、負傷4万人を出し、抵抗したムジャヒディーン側の犠牲は60万人と言われている。この戦争でソ連邦は疲弊・崩壊、ロシアになり、その後は911同時多発テロを契機に、テロ首謀者のオサマ・ビンがアフガンに潜伏しているという理由で、アメリカがアフガンへの軍事的関与を引き起こした(オサマ・ビンが首謀者であるという証拠は見つかっていないと、後にアメリカは発表している) アメリカはアフガン侵攻以来、すでに外国軍は3500人が死亡。武装勢力側は42000人、アフガン政府軍は45000人が死亡。一般人の死者も32000人と発表されており、アメリカは19年間で6兆ドルを費やしたとも。   
トランプは11月の選挙を控え、アフガンへのアメリカの関与を終わらせたい。アフガン駐留の外国軍を撤退させるという「誓約」をしたので、何としても和平交渉を完結させたいようだ。が、911同時多発テロの記念すべき??翌日の912から開始されたカタールでの和平交渉は、1週間以上経っても政府側・武装勢力側共に相寄れず暗礁に乗り上げたままだ。   
和平会談が進展しない理由は、8月、相互の囚人交換後に和平交渉を行い用意があるとの合意に至ったが、最終的に囚人の交換に関する一致が見られないからだとも言われている。仮に双方の一致が見られたとしても「殺された家族を持つ、個々人の恨み」は3世代は残る・・     
昨21日は(この10年近くで何十回目かの)和平交渉が始まって以来という、もっとも血なまぐさい戦闘になったと報道されている。武装勢力側の戦闘機が保安検問所を攻撃。過去2週間にアフガン24州(アフガンは全部で34州)で98人が死亡、230人が負傷。当然、武装勢力人。民間人にも相当数の死者。負傷者だと。こうした殺戮で家族を亡くしたアフガンの人々の多くは「恨み」を3世代は残す。平和なアフガンは日々、遠くなっていく・・