30年前の暮らしに戻たかのようだ

パキスタンでは、とてつもなく酷い汚職政権が前、前々と2代も続いて、約2年前首相に就任したイムラーン・カーン(正義党)は経済の立て直し、汚職追放に力を入れている。経済政策の一つとして、首相は昨年1月頃だったか・・から、輸入関税を大幅に高くした。お陰で町のスーパーなどでは輸入物の食料品がほぼ消えた。   
だが、考えて見れば、30年前のイスラマバードでは輸入品などは手に入らなかったし、必要とも思えなかった。輸入品が豊富にあふれるようになったのは、アメリカでの911同時多発事件後、アメリカでの暮らしでは迫害を受けそうだと(イスラーム教徒である)パキスタン人が、大挙、帰パして以来だ。そういう人たちを相手にちょっとオシャレで高級な店では輸入品を並べた。冷凍物のチップスや魚、野菜など、質の良い缶詰などを見つけて田舎者・かつ貧乏性なオバハンは驚いたものだ。「こんなに高い物を平気で買って行くパキスタン人たちがたくさんいるンだ!」と。アメリカとパキスタンの経済格差、アメリカ帰りはお金を持っていた。 
思い返せば30年前は、輸入物はおろか、日々食べるお米も気に入った物を車で6時間も走り、水田で短粒種米を作っているからと、スワット地方まで買いに行っていたものだ。魚にいたっては冬場、仕事でたまに行くカラチで、気絶しそうに汚い港へ行き、仲買人から魚を購入、嬉々として飛行機で運んで来たものだ。それ以外に海の魚に出会うことはなかった暮らしだった。     
今年に入って約半年、日本から毎春のように運ぶ「お米、コシヒカリ」も底をつきつつある。ロックダウンの前に野外大バザールで「念のために」と買っておいたスワット米は、普通の店では見かけない。冷凍庫には肉、鶏などはたくさんあるが、お米を初めとする日本食、調味料などが無くなって来たのはチト淋しいな。お嫁チャンの、
お店が開けるくらいの量を貯めこんでいたという膨大な日本食(子供たちのおやつ類)も、「ここまで減ったのは初めてです!」というくらいらしい。
30年前の暮らしと変わったのは、エアコンのある部屋で朝までノウノウと寝られるようになった贅沢さだ。