信じるものは救われるのか、救われないのか?

神を信じることで救われる人も多々あるし、中には救われない人もあるのだろうと・・この辺の塩梅?は、なかなか難しい。オバハンは神(大自然の摂理)を信じて生きているが、世界には様々な神がましまして、他人の信じている「神」を信じられないこともある。   
インドでは牛を神聖視し、牛のオシッコを飲むことでコロナ禍に打ち勝とうとアピールする方々もお見えになる。パキスタンでも「自粛要請」により、人の集まる公園や一部レストランが閉まり出したし、宗教的な集会やモスクでの礼拝も(一部の開明的な指導者によって)自粛の動きが出始めている。
が、中には全能の神(アッラー)のメッセージを広めることで信仰を高めようとする大集会(3月11―15日)が、政府の自粛要請にもかかわらず、ラホール近郊のライヴァンドという町で開催されている。5日間に及ぶ雑魚寝のテント生活、例年は全国から数十万人も、時には百万人もが集まるが、今年はコロナ禍で数万人の小規模らしい。
だが、その彼等が大導師による「有難い説話」を聴聞後、各地へ帰って行き、信仰心の表れとして神の教えを広めて行くのだ。神を信じるのは良い、個々人の自由だ。だがだが・・それが家族や周りへ病気をもたらすかもしれないという・・想像力に欠ける人たちは、大問題だ。他人に「有難い」神の教えを広めるのではなく、自己昇華として欲しいものだわン。   
愛知県であった「陽性者による故意のコロナ菌ばらまき」は傷害罪にならないのか? 昔、エイズに罹っているのを知っていて、他人に移したというのは傷害罪に問われていなかったか?