町にマスクがない

昨日はイスラマバードで一番大きな薬局でも、既にマスクは売り切れていた。中国人たちが買い占め、本国に送っているのだろうと言う。で、何枚でも良いから、取りあえず手に入る分だけでもと強硬に注文、きょうは2000枚のマスクが手に入ったので、中国にある取引先へ送ったと息子が言う。明日もマスクを買いに行き、別の取引先へ送ると言う。隣町のラワルピンディなどでは売り切れてはいないだろうが、先行きを考え注文しておくに越したことはないのかも。   
オバハンは手に入らなかった時のためにと、家で使う分のマスクは「手作り」を考えた。モノが豊富にない時代に育ったオバハンなので、手に入らなければ「手作り」をすれば良いのだ!と、まったく悩まない。途上国のパキスタンで、40年以上も暮らしているから、ないものは工夫をすれば良いのだとも、身にも沁みついている。家で何か工夫が必要なモノが生じると、息子は「なんぞ考えてよ!」とオバハンに振って来る。先般は麻雀用のマットだったし、燻製用の竈(かまど)というのもあった。   
ギルギットの母子保健センターでも生理用品なども含め、手作りが当たり前の社会だが、当地の女性たちには、収入も含め、何から何まですべてを男どもに依存して生きているので、自分で工夫をするという発想はない。母子保健センターでオバハンは大工まがい、左官まがいの作業をいつも楽しんでいる。不便さを楽しめるオバハンは本当に得な性分だ。