母子センター その後

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

4月のギルギット行きは僅か5日間にハプニングありあり。毎日、気の休まることがないスリルとイライラのパキスタンだった。 が、今月のギルギット(母子センター行き)も似たようなハプニングで逃げ帰って来た。
4月に出来なかった修了式と入学式。 履歴書に修了証書を付けて就職活動をするという女性もいて、治安が回復したら1日も早い修了式を…と言うので1ヶ月遅れで挙行。 式開始の「ビスミッラー …」(宣誓の言葉)が終り、開会の言葉を副校長が述べて…、校長が挨拶をしようと思ったら遠いところで銃撃音。何人かが耳をそばだてる。
そして全員の耳に聞こえた非常サイレン。「ウワァ~~アァ~~ン」と高く低く一鳴り。
教師たちの持つ携帯電話が一斉に鳴りだし、あちこちから緊急の電話。校長は挨拶の代わりに、「ただいま緊急の電話が入り大学で銃撃戦。修了式は中止にするようにとの連絡です」と。

4月も宿泊所の近くで爆破と銃撃。オバハンは寝入ったばかりで知らなかったが、同行者たちは爆破音を聞き、要人1名と警備員・運転手の3名が死亡。市内は緊迫、道路封鎖。たちまち学校も役所も閉鎖、外出禁止令。
生徒の来ないセンターに居ても仕方がないし、しばらく忘れていた蚊と蚤とダニの攻撃に毎晩魘されもしていたので、さっさとイスラマバードへ帰って来た。
しかし治安の不安定なこと…  弾や落石に「当たるまでは怖くない!」と、常日頃から笑って済ませようとしているが、弾にかすりそうな頻度が高まっているような気がする。 

修了式では成績優秀な生徒にトロフィーを授与、記念写真なども予定していたが気の毒にそれどころではなかった。 しかし、ホールの飾り棚にトロフィーを飾っておいたら、「これが貰えるの?」とワイワイ・ガヤガヤの女生徒たち。思った以上の関心の高さにオバハンは驚いた!

ギルギットの治安回復(今回は)想ったよりも早くて、月曜日にはセンターも再開。修了証書の授与がセンター内部で滞りなく終わった。修了生の中から中級コースへ進学したのは8人、中には村へ帰って縫製の指導者になる予定の者もいて、何人かの女性は着実に将来を見据えている。