見栄が張れなくなって来た

ここ3-4日曇天で小雨続き、この先まだ3日は小雨の予報。きょうの最高気温は13度と肌寒く、日本から運んで来た炬燵の温もりがとっても嬉しい。
数年前までのオバハンならバリバリに見栄を張ることが出来た。真冬の寒さにも殆どヒーターは使わず、1年中、大理石の床を裸足でペタペタ歩いていた。真夏の気温42度超え、煮えたぎりそうな暑さになってもひたすら根性・我慢と、エアコンを使わず「悦」に入っていた。息子に「その我慢は何になるのン?」と正面切って問われると些かメゲルが、要は、日々がんばっていますということで、自分が愛おしい。自己満足のどこが悪いと言うのか! それから思うと炬燵に入っているオバハン、この数年でムッチャ軟弱になった。

中村先生がアフガンに人生を捧げた理由、「不平等に対する復讐」だと。オバハンの場合は父が亡くなった後、日本での暮らしに見込を立てようと思わなかっただけだ。何処かへ勤め毎日会社へ通う、そんな普通のことが出来ないのは自分でも良く解っていた。パキスタンへ来たら暮らしが立つという保証はさらになかったが、へそ曲りのゆえに「日本の常識はパキスタンの非常識」とでも言えそうな、価値観の異なる当地に魅かれた。40年前、登山者相手の民宿を始め、1日18時間しゃにむに働いて大満足だった。要は他人と異なる自分が愛おしいという複雑な性格なのだ。
その後、数々の取材を手伝うようになって、政府相手の取材交渉や現場で思うように行かない事柄を一つ一つ乗り越える面白さ、その達成感にも魅かれた。「ダメ、出来ない」と言われることの1つ1つを出来るようにしていく面白さには、サドマゾの世界とも言える山登りと同質のものがあった。
中村先生のように高尚な、人生を捧げる理由がオバハンにないのがチト淋しい。