中村先生は圧倒的な存在過ぎた

中村先生が亡くなられて「ペシャワール会」では、「事業の継続が一番の供養」と決意を固められたと言う。とは言うものの、中村先生の存在は圧倒的過ぎた。中村先生と同じように現地に溶け込み信頼を得るには矢張り10年はかかろうというものだ。中村先生は現地の自主独立、自給自足を達成するための布石を着々と打っておられたと。

オバハンの主唱する小さな支援団体、母子保健センターnwaですらも後継者に悩んでいる。30年間細々と続けて来た地域活動の結果、村々で指導の出来る女性は育った。しかし、現地は女性が独り歩き出来るような社会ではない上に、女性たちが生まれ落ちた瞬間から受けるイスラーム教育の影響で、男性に依存する思考と体質となっている。そのせいもあって根本のところで自分たちで考え行動するというスタンスにはない。母子センターという入れ物の中で、言われたことだけしか出来ないのだ。

自主的に目標設定や立案、実践が出来ないのは何も彼女たちに限らないのかもしれないが、とにかく今のところはまだまだ現地へは任せ切れない。オバハンも後期高齢者になった、何時まで活動を続けられるのかと不安にかられている。先の9月と11月にはギルギットで全職員にハッパをかけて来た。「私も何時まで生きていられるのか分かりません、今後は徐々に自分たちの力で運営していく算段をして欲しい。そのための必要協力、アイデアを出すこと、サポートは惜しみません」と。

3年くらい前に「助産師の資格も取りましたnwaで働きたい」と言って下さった日本人の看護師さんがおられた。だが現実の問題として安全の確保や、安定した日々の生活保障が出来ずお願いは出来なかった。パキスタン北方の中心地ギルギットにはアフガンのような危険はない。イスラーム宗派間の抗争が激化し、弾の飛び交う銃撃戦、市街戦は数年から十年毎くらいにしかないが、常にレンジャー部隊や特殊兵士が街角に常駐している状況だ。その上、日に2-3時間しか電気がないことや、日常生活の買い物にも不便で、読書くらいしか楽しみがないことを思えば、常駐して頂きたいと言い難いものがある。