オバハンは差別主義者

この10日ほどブログで書いて来たように、オバハン自身は取材や支援活動、特殊な団体ツアーを通して40年間で数々の痛い目に遭っている。だから同行者の安全には神経がツンツンに尖る。
痛い目の経験が重なったせいで「命根性が汚い」と事務所の者に嗤われるくらいオバハンの逃げ足は速い。昔、右翼だかヤッチャンだか少し紛らわしい方々で「チャカ(ピストル)はどこで手に入るか」と聞くような団体さんがやって来た。でも、その団体さんの危機意識は非常に高く?オバハンが余計な注意をしなくとも「オバハンが伏せたら伏せろ、オバハンが走ったら走れ、オバハンから眼を離すな」と。
だが、ごく普通の日本人は当地、特にアフガンへ行っても危機感が希薄の上、現地の慣習や文化には疎い。日本と同じような感覚で、良いアングルはないものかとカメラを手にウロウロと動き回る。ある程度、物見高く来ているのだから仕方がないと思える面もあると理解をしながらも、ハラハラして怒鳴ってしまう。言葉を選んでいる余裕はない。
パキスタン地震の折にも若いボランティアたちは怪我人、病人への支援で忙しく暗くなってもテントへ帰って来ない。真心を持って一生懸命に被災者に対しているからわが身への危険はないと信じている。日本的常識が危険と背中合わせになっているとは気が付かない。

いつでもオバハンは同行者たちの安全に神経を尖らせ、状況によっては超非常識な当地の男を相手に烈火のごとく怒る。日本的なヤワヤワな怒りの表現では相手に通じないからとオバハンは全身で怒りを表すのだが、それが日本人たちには「現地人を見下している」と映るようだ。

多くの日本人が持つ「人間平等」の感覚は麗しい。しかし時にそれらは当地で通用はしない。オバハンは何時も思う、その「人間平等の感覚が、ここでは時に危険を招くのだよ」と。そして当地と日本での安全基準には大差があることを、どうしたら理解して貰えるのかと考え込む。