アフガン支援展開の原動力

中村先生の「100の診療所より用水路1本」の発想には心がうち震える。娘も25年前に医者になり、途上国での仕事に就いて2年くらいで「目の前の患者を診るだけではダメだ」と言い、病気に罹らない、ならない指導をするための公衆衛生・予防医学に目を向けた。医療行為だけでは救えない人々が多すぎると。
さて、先ほど目を通した中村先生の最後の寄稿文には気になる箇所があった。「今まで一度も足を踏み入れていない村へ行ったら、長老から滅多にない歓迎を受けた」と。その場に居合わせたわけではないのでオバハンの思い込みの部分はあるが、中村先生は文字通り素直にその歓迎の言葉を受け止められ、それが用水路造りの原動力にもなったであろうと想像する。が、オバハンは持って生まれた性格の悪さの上に、悲しいことに痛い目には数え切れないほど遭っているので、仮に歓迎の言葉を受けても場に居合わせる人々の顔色、雰囲気などなど、さらには言葉の裏までをも安全のためには見ようとしてしまう。早い話がなかなか他人が信用出来ないのだ。

先生が灌漑用水事業を展開されて来た地方にはパシュトーン族の人々が暮らし、パシュトーンの伝統・文化で満たされている。超大雑把に書くならパシュトーン族の「掟」30数項目は今も社会に厳然とあり、利害には命をかけている人も多い。命をかけてこそ「男」なのだ。だが実際に銃をを向け合うまでは、衝突をしないための常套用句には磨きがかかっている。ただの通りすがりの旅人に対しても「ここはアナタの家です、何時でもお使い下さい」などは掟の1つで「客人歓待」の決められた常套用句だ。
こうしたパシュトーンの人々特有の常套用句を中村先生は素直に受けられ、事業に邁進された気がする。ご葬儀での哀悼の言葉をネットで拝読した、そこにあったように、本当に先生は「良心を生きて来られた」のだと思う。だが、それが危険を招いたとも言える、残念だ。