タリバーンにはタリバーンの正義がある

「アフガンでの戦争は無くならない」と、パキスタンでは誰もが思っていると3日のブログに書いた。そして僅か10数時間後の「速報ニュース」、米軍がタリバーンを攻撃したとの字幕。   
歴史的な和平合意に署名と鳴り物入りだったし、タリバーンの代表(幹部)とトランプが「とても良い」電話会談をしたというのも、所詮、トランプの選挙活動の一環だと多くの者が想っていたことだろう。北朝鮮やイランだったか?友好の真似事・握手をした後で、トランプの指導力を見せる「手のひらを返す、ちゃぶ台かえし」トランプ大統領の得意技かとも想ったが、タリバーン側が先に複数のアフガン国軍の基地(34州のうち13州)で攻撃をしかけたとニュースにはある。アフガン国軍(現政権)は米軍の傀儡である、敵であるとする考え方であろうが、タリバーン側は力を見せて「捕虜開放」の交渉を優位にしたかったこともあろうと考えられる。    
そもそもタリバーンは一枚岩ではない。さらには、アフガン人というのは他人の下につくことを嫌うからタリバーンの代表とか幹部の言う通りにはやりたくない!やらない! 代表!幹部?何者ぞ!ということでもあろう。    
彼等アフガン人にとって「時間」は永遠にある。いつまでに何をしなければならないという制約は皆無だ。過去における戦争で、イギリス軍、ロシア軍、アメリカ軍は、この「時間」に負けたともいえる。タリバーンにとって時間は「無限大にある」と言っても良い。神(アッラー)に召されるまで、思い悩むことはなく?アフガンンお大地を汚す外国軍の存在は許さない、死ぬまで戦うことこそが正義だと考える者も多い。このことは(神聖なる)サウジアラビアの地に米軍が駐留した時に見せたオサマ・ビン・ラーディンの考え方に通ずるものがある。
アフガンの国是が「イスラームの護持」であることを思い返せば、アフガンの大地を愛するタリバーンが永遠に戦うことは、オバハンには自明に想える。現代の我々が持つ価値観とは異なるが、彼等タリバーンには彼らの正義があるというところだろう。