軍がマスジッドに突入!

2007年07月12日の便り(1)より
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「軍がマスジッドに突入!」
大勢が決した段階で、マスジッド立て篭もり事件が終わったと思っている報道が多いようだ。確かに世間的には「事件」は終了したが、たまに爆発音らしきものが聞こえているから、まだ完全終了ではないかも。むしろ、治安悪化の開始とも言える…。
巷の話では、マスジッドに最後まで立て篭もっていた人たちは、かつてアフガニスターンで聖戦士(ムジャーヒディーン)として戦い抜いて来た人たちで、抵抗は激しく最後の最後が一番の脅威(自爆)で、軍は突入できないんだとか。さもありなんと思う。

4年くらい前だったか、UNの爆発処理班の取材をアフガニスターンでしたことがあって、僅か5kgだか10kgくらいだったかの火薬処理に1km以上も離れた岩陰からカメラを回したことがある。その爆破時に立ち上った火柱は100mもあったし、1km以上離れた場所でも結構な爆風があった。在パキスタン日本大使館隣のエジプト大使館爆発では、テロリストたちは200kgの火薬を積んでいたと言い、10km近く離れたわが家でも窓ガラスが割れている。
雪崩と違って、火の手が見えた瞬間に物陰に伏せれば良いと学んだが、いずれにせよ最後の1人が逮捕されるまで自爆の危険は去っていないと思う。

立て篭もりには女子どもが人質になっていて、それにもかかわらず突入した軍に対する批判が内外から大きいが、汚濁にまみれた現世より殉教による天国を純粋に望んだ女子どもがあったと解釈すべきだろう。洗脳されていたとも言えるが。

立て篭もりの指導者、ガージー師の遺体は軍のヘリコプターで彼の生まれ故郷へと搬送され、そこで肉親などに見守られ葬式が営まれる。アメリカに媚びていると、現政府には激しく抵抗したガージー師だが、それを殉教者として手厚く葬らねば国民の反発はさらに大きいというところだろうか。先般、女装して(女装させられて)逃げ出そうとした兄も葬送には参列するという。

我が家の前に駐屯していたレンジャー部隊の姿がまばらになった。
救急車もいなくなった。
報道陣用の会場も片づけが始まった。
丸10日間、実に長かった…。