被災地ギルギット

ようやく飛行機が飛び、ギルギットから首都へ帰って来て、まるで天国のようだと、普通生活の有難味を実感している。3月半ばから急激に体調が改善??されたように感じられ、急きょ1週間ばかりギルギットヘ行くと思い立ったものの、やはりギルギットは遠い。

ギルギットも昨秋から数度も立て続けに起こっている大きな地震で被害が出ている。そこへ3月末からの豪雨・洪水。 「いまギルギットヘ来たら大変なめに遭うから、時期を遅らせて~」という母子センター相談役の電話は軽く聞き流した。普通生活の中では被災地、被災者の困苦はなかなか想像が出来ない。

3月末の洪水ではギルギット上部の水力発電所が半壊。続けてまたまた地震で半分埋まり、24時間電気はなし。 急斜面の脆いカラコルム・ハイウエーは70㎞に渡って崩壊し続け、完全復旧の見込みもなく、ギルギットには食料も燃料の搬入もなく、文字通り陸の孤島
連日、陸軍のC130がギルギットの小さな空港へ飛来、なんとか主食だけは運び込んではいたが、焼け石に水。 バザールで見かけるのは土地物の青菜とじゃがいもだけで、他は皆無。主食の小麦なども3倍近い値段で店も大半が休業、閑散。 役所には発電機をまわす燃料もなく、役人たちは真っ暗な中でデスクの前に座っているだけ。むっちゃ不気味~

電気なし、TVのニュースにも縁はなく、ギルギットで飲み食いできるのは、連日、薄い野菜カレーと小さなチャパティ1枚だけの生活。終日、空腹感はあるものの、とりあえず食べられたのは有難い。被災された方々の不安や困窮が想像できるというものだ。 そして、自宅へ帰って来て熊本やエクアドルの大地震を知った始末だ。


* 昨秋以来の大地震で、寒さに震えている被災された方々へは、母子センター相談役が中心になって以下の支援をしました。 春のミーナ・バザール用にストックしてあった衣料品(中古を含む)約800着、毛糸の帽子200、毛布20、男性用の大判チャドル20枚など。