NWAセンターは女性たちのオアシス②

ーーーーNWA14年度活動報告からーーーー

NWAのセンターでは、健康で病気になり難い食事というので、いろいろな指導をしています。
現在の料理・栄養指導はラホールのカレッジで学んで来たナジマです。栄養指導の他に家庭で出来る簡単なケーキやおしゃれなデザート作りが得意です。
イスラームの大祭、断食明け、結婚式、ちょっとしたお祝いや集まりの席には必ず甘いものが出されます。ゼリーやカスタードなどインスタント物がバザールにはたくさん出回るようになりました。時にはそれ等インスタント物を上手にアレンジし、可愛いデザートに仕上げるのが女性たちの楽しみです。山村のギルギットでは今まで目にする機会もなかった、おしゃれで可愛いデザート、若い女性たちに大の人気です。
結婚を前に料理や栄養について学ぶ教室は何時でも定員がオーバーです。

またバザールでは高価で手が出ない嫁入り支度(ベッドカバーなどの寝具や室内装飾品)を自分で1年もかかって整える女性たち。縫製が出来るようになったことで近所の縫物を引き受け、ミシンや電気製品を購入する女性たち。中には「弟を私立の学校へ通わせている。その学資を稼いでいる」と、得意満面の女性もいます。
自立や自活には遠くても、現金収入に繋がることも学べる。そうした女性たちの話を聞いた村人は、「NWAセンターへ通って勉強をするのならば…」と、通うことを許可する家族が増えています。

中には、昨秋からアシスタント教師になったサイバのように、センターを「逃避」の場所としている女性たちが過去にも何人もいました。  サイバは14歳で結婚させられ、15歳で出産。嫁ぎ先では家庭内暴力など色々あって17歳で離婚。子供を嫁ぎ先へ残して実家に戻って来たものの居場所はなく、NWAのセンターが唯一の逃げ場でした。  「とにかく家から1時間でも良いので離れたい、離れれば深呼吸が出来るからと、殆ど誰とも口も利かずに黙々と3年半も通っていた」とは、センター相談役の話です。
家人がサイバのセンター通いを黙認していたのは、センターが女性だけで運営され、安心の出来る場所だと地域で認識されているからでしょう。そして手に技術も付き、新入生の指導を手伝っていました。昨秋のギルギット訪問時、結婚退職で教員に欠員が出るというのでサイバと面接。すぐにアシスタントとして働いて貰うことにしました。話が決まった時のサイバの恥ずかしそうな笑顔が忘れられません。教職員たちの間でも「サイバが笑顔を見せた」と、しばらくは話題になったくらいです。アシスタントとして働き始めたサイバ、日に日に明るい顔になり、近ごろではたびたび笑顔が見られると周囲は言います。

2002年からNWAの教室で刺繍を専門に教えているシャザディ33歳は未婚。パキスタンの田舎では15歳~18歳で結婚することが多く、30歳を過ぎての未婚は非常に稀といえます。イスラーム(教)、神から下された聖典コーランには、「結婚はしなければならないイスラーム教徒の義務」と書かれています。神から下された言葉(聖典)に100%従うことこそがイスラーム教徒に課せられた生き方です。 近年では識字率も上がり高学歴女性の結婚が遅くなっているとはいえ、25歳を過ぎて未婚でいることは恥ずかしく、また肩身が狭いことでしょう。シャザディの意志には関係なくとも、聖典コーランの教えに添っていないのですから。
シャザディも家庭に問題があり、結婚が出来ず、家にも居場所がない者の一人です。教職員や通って来る女性たち一人一人と言葉を交わす機会は僅少ですが、それでも多くの女性たちの逃げ場、拠りどころとしてのセンターが担って来ていた役割は大きなものです。

センターが完成した当初は、あれもこれも…と様々な活動を考えたものでしたが、今では欲張らず、女性たちの「避難場所」「時には駆け込み寺」である事実を大切にし、地域のオアシスとしての存在に意義を深めて行こうと考えています。



次回は、算数教室:初等教育を取り巻く環境と、今後について