パキスタンの洪水、飢えが出始めている・・・

きょうは、ようやくギルギットの母子センターヘ電話が通じた。ギルギットでは10日ぶりに、1時間半ばかり電気が来たので携帯電話に充電が出来たと。 
「電気がないので製粉も出来ず(ガソリンがないので水車のある郊外へも行けず)、多くの家では石臼で小麦や雑穀を砕いて食べ始めている。平野部から1本道の幹線道路であるカラコルムハイウエーが寸断されて20日近く、燃料もプロパンガスなども北方地域へは入って来なくて、屋敷内の樹を切り倒して燃料にしている。生木なので燃えにくく、調理もままならない状況」と。 しかし自宅の敷地や畑の内に樹があれば切れるが、樹がなければ切ることも出来ない! だが、自宅が流されたわけではないから、まだ救われていると。

車輌の燃料は、先月末の25日から市場になくなり始め、もう10日も前から給油所にはスッカラカンだったと。センターの送迎車は手持ちを大切に使って来たが、ついにそれも尽き、明日から正式に無期限閉鎖に入る。 ギルギット近郊への輸送もストップ、マジで住民には飢えが出ているという。

パキスタンの全土、川沿いの低地では水が浸き多くの人々や家畜が被害が出た。埋めるに埋められない家畜の死体が、水の引いた泥濘の上に累々と転がっている。 家を無くした人、食料を求める人、そうした人々への支援は、「核兵器を持っている国に支援は必要なのか?日本人はお人好しすぎる」という言葉では済まされないと、超お人好しなオバハン個人は考える。人には、それぞれ色々な思いがあって当然だ。だが、身近にそうした困窮した人々がいるなら、それをオバハンは見過ごせない。
先般も、日本では幼子が母親に見捨てられ部屋で死亡している。何件もの、こうした痛ましい事柄が日本では起こっているようだが、「母親にはホストクラブで遊ぶ金があるんだから、子どもたちを助けてやらなくても良い」という、卑近な例にも等しい。 
ボランティアなるものは、出来る者が出来ることをすれば良いだけのシロモノで、所詮は自己満足のなせるわざだ。 他人を本当に助けることなど、出来ない。ただ、可能ならば、僅かでも困っている方々のお手伝いを…と思うだけだ。 70歳近くになっても自分の父親からの言葉、「他人のお役に立って一人前」を大切に守っているオバハンだ。お手伝い出来ることの余裕を有難いと思う。

たいした支援活動は出来ないが、皆様方からのご協力をお願いするばかりだ。