アフガン化したパキスタン

非常事態宣言もパキスタンにとっては大きなマイナスだが、その陰に隠れ、目立たないうちに上部スワットがイスラーム原理主義者たちによって制圧された。警察権が及ばなくなり「治安は住民に任せる」と手を引いたと言うから、パキスタンのアフガン化と言える。
10日ほど前の新聞で、スワットから難民が出始めたと読み、オーバーな…と思ったが現実だったみたい。

日本人に馴染みの深い、ガンダーラ遺跡が広がる緑豊かなスワット渓谷。南から行くならチトラルへの道中ともなるディールなど、一昨夏よりオサマ・ビン・ラディンが潜んでいるなどと政府は言いつのり、テロリスト掃討に力を入れて来た。最近ではワジリスターン中心にオサマ・ビン・ラディンが潜伏しているとアメリカに言われ、尻を叩かれ掃討を重ねている。
結果、現地の反発は大きくタリバーン化を一気に押し進めたようだ…

スワットやチトラル方面だけではなく、元々、インダス河より西側(現在の北西辺境州)は1893年までアフガン領土だった。そのことを想えば、イギリスがパシュトーン族の住む地域の真ん中に人為的にひいたデューランドラインがなし崩し的になり、元のパシュトーン・エリアに戻りつつあるといえるのかも。

北西辺境州のタリバーン化に伴い治安が悪化。中国政府は同州から退避するようにと同国人に異例の勧告を出し、同州から中国人はイスラマに退避したと。