アフガンの評議会は民主制を否定する

アフガン・イスラーム首長国の評議会が「民主制を否定、アフガンには民主主義の土台がない」と。で、欧米を初めとする民主々義国家の多くは「エライこっちゃ!」と騒いでいる。実に馬鹿げた話だ。民主々義国家になるには、国民の大半が読み書き出来、自分の考えを表明・持つことが出来るということがまず第一に求められるのではないのかと、オバハンは考えてみたがどうだろう? 前々からブログにも書いているが、民主主義がベストの国体ではないと想うと。民主主義を標榜している日本ですら「声のデカイ人」の主張が通ることもあるし、まぁ比較論で言えば「他に適切なモノ」が見当たらない現状の中では、まだマシなのかも・・と言える程度だ。驚くべきことに・・世界の現実では民主主義国家は少数派で87ヶ国しかないそうだ。うち完全な民主主義国家と言われるものは20ヶ国、日本やアメリカは欠陥のある民主主義国家55の1つに分類されている。
だから・・アフガンが民主制を否定して、合議制を取ることに対しては騒ぐことでもない。元々アフガンには総ての村落にシューラ(評議会)なるものがあり、地域内の揉め事などは長老が村の成人男子全員を集めて協議・合議をして決済してきた長い長い歴史がある。

昨日の、気まぐれブログに丁寧な書き込みを頂き(深謝!)オバハンのブログは911の折に友人・知人等から安否を問う多くのメールに対応する時間がなく、ブログで「きょうも生きている」と日々を発信することで返事に換えていたものだ。911勃発から1ヶ月間は、報道陣などもアフガンには入れず、日本からの人々は全てがイスラマバードに滞在していた。毎日100人を超す報道関係者からの多様な注文に応えるべく、寝る時間はなかったし、当初はスタッフのために防弾チョッキの手配を・・ともいうような中では5分、10分の時間を見つけてブログを書くのが精一杯だった。当時はインターネットの普及がまだ充分ではなく、その中で発信し続けたブログは「現地からの生の声」みたいな感じの上、現地状況からかけ離れた「ひたすらアメリカ寄りの報道」に業を似やしたオバハンの「報道批判」は、後に一冊にもなって、日本ジャーナリスト協会賞だったかまでを頂いた。
911勃発までの11年間は、アフガンの元ムジャヒディーン(聖戦士)たち数人を護衛に雇い入れて暮らしていたから当然、内戦時代もタリバン時代も比較的身近だった。そしてアフガン人の思考回路が日本人のみならず、欧米とも全く異なることを日々体験していた。思い返せば近年、世界で声高に言われるダイバシティー(多様性)を肯定せざるを得ない日々を送っていたことになる。