パキスタンとアフガニスタンの国境線

パキスタンアメリカ主導の対テロ戦争に参加し、約7万人もの人命を失った。対テロ戦中にアメリカから受けた経済的援助は大きかったが、近年はアメリカと距離を置き(対テロ戦争に参加したための後遺症による)経済的な損失も大きい。
アフガン政府は、「アフガン人による武装勢力が、アフガン国内への攻撃に際してパキスタンの基地から出撃して来る(パキスタン武装勢力を擁護している)」と主張。パキスタン側は「インドの支援を受けて、アフガンはパキスタンへの執拗な攻撃を行って来た」という事などで、過激派の国境を越えた移動を困難にすること。違法取引や麻薬の密売を排除・削減するためにと、10数年もの前からパキスタンとアフガンの国境を明確にすることを目指し、共同地形調査を提供したが、アフガンに完全無視されて来たと。
パキスタンが印英からの独立時に受けた国境線は、イラン国境からヒンドゥークッシュ山脈まで延びる約2600kmらしい。が、1893年に英国によって人為的に引かれた両国の国境協定は100年であり、1993年に失効しているとして、アフガン側はパキスタンとの国境線を頑として認めていない。
パキスタンアフガニスタンの国境線沿いの多くは人間も住まない原野(土漠)が広がっている。そこにパキスタン軍の指揮下で有刺鉄線によるフェンス高さ(パ側3.3m ア側4m)が造られることになって、既に数年になるか。国境1kmを囲うために47トンの物資が必要であり、国境防衛管理を強化するため、膨大な人手を費やして。両国国境沿いに443もの大きな砦を建設、ドローンによる監視態勢もあるらしい。その工事の80%余が終わったとの報道。
これで、大昔からパ・ア両国の間を自由に行ったり来たりしていた遊牧民の姿は見られなくなる。カラ~ン・コロ~ンと長閑なベルを鳴らして大地を踏みしめ、インダス河から中央アジアのアムダリア河までを2年もかけて行き来する遊牧民もあったという時代は終わった・・