地震被災者とは痛みの共有を

地震当日から案じ続けてていた気仙沼に住む学生時代の悪仲間の生存が、青森に住む友人からようやくもたらされた。しかし日パ旅行社でオバハンの相方を務める大住の親戚は、石巻で4人もの犠牲者を出した。海苔とホタテの筏も船も無くし、銀行が遠いからと自宅に置いていた現金も、もちろん流れたと…  (自分の目で見たのではないが)「敗戦直後の壊滅的な日本の出現やなぁ… そう想って頑張るしかないのかねぇ」と、互いに言い合いながら、今までに見てきた数々の被災地がオーバーラップする。
敗戦直後の日本と同じように、ゼロからの出発を余儀なくされる企業や人がいったい何十万人に上るのだろうか… 考えてみれば、これは偏に東日本だけの問題ではなく、まさしく日本全体の問題でもあろう。

天災・人災を含め、今まで何度も被災地へ入ったオバハンたち。パキスタン地震直後の被災地バラコットでは、津波後のように壊滅した建物の下に埋まったままの犠牲者たち、そこでは強烈な死臭が漂い呼吸もままならなかった……  1日1食すらも手に出来ない多くの被災者たち。負傷して傷口が腐ったままで治療も受けられない人々、その地獄絵のようなありさまが今、東日本の多くの場所で現われている。

過日、当地イスラマバードでも被災者支援のチャリティ・バザーを催した。その際、国際通信社APFから借り受けて展示した何枚もの大きなパネルの中に、雪の中、壊滅した家の前で膝つき手探りで涙しながら母親を探す男性の写真が心に迫った。なんと切ない写真であろうか…と、オバハンは正視できずに涙してしまったが、被災直後の地に足を踏み入れたことがない人、被災した経験のない人には、何枚ものパネルの持つ意味は、なかなか届かないようだ。

日本を初め世界中で「支援」の輪が広がっているが、この震災は日本国民の総てに大なり小なり影響を及ぼす国難だろう。世界に比べればダントツに豊かな日本だったが、少しづつ痛みとともに国民全体も今までとは異なる生活を共有していくことになるのであろう。日本が今まで恵まれ豊かすぎたと再認識し、不平不満を言うことなく過ごしたいものだわ。