イスラム国の倫理(一端)

実は、イスラム国での湯川さん殺害の記事に触れた夜、吐き気を催し、文字通り布団をひっかぶって寝てしまった。
イスラームに関しては、ごく一般の日本人よりは理解もあるつもりでいるオバハンだが、なんともかんとも言葉には表せない痛ましさに胸潰れるとは、こんなことかと思う。 続けて、後藤さんも殺害だというニュースから、「どうか2つともが間違いであって欲しい」と心底、思ってしまう。心正しいイスラーム教徒たちもオバハンと同じように考えていると想うと、実にやるせない。

ただ、イスラム国を構成している人たちの言う、彼らの考える正義(預言者ムハンマッドの時代に戻る原理主義)が、オバハンには理論として一面、理解が出来るだけに、心正しいイスラーム教徒たちは、この事件をどう受け止めるのかという興味が、個人的にはある。

湯川さんに関しては昨年8月から、後藤さんに関しても昨年11月から日本政府は「拉致」の事実を知っており、水面下で交渉を続けていたと言う。 情報収集や交渉を続けながら、日本政府には彼らを「単なる武装集団」としか考えていなかったところが、間違いと言えば間違いだったのかもしれない。

アフガニスタンタリバーンは3~10万人の勢力で全国制覇をし、10年間アフガンという国を運営した。アフガンのタリバーン政権を国として承認したのはサウジとパキスタンと、もう一国、マレーシアだったか、どこだったかがあっただけだが、このイスラム国も似たような構成人数であろう。であれば、10万人であっても「一国」を創ることは不可能ではないのかもしれない。ただしアフガンの場合も10万人で全国の切り盛りをするのには大変で、だから恐怖政治になったのは見逃せない。

結果論から、「日本政府は2人を見殺した」なる論評が出ているが、日本政府は見殺す以前の認識に欠けていたのかもしれない。 イスラム国を一つの国として認めていなかったからこそ、今回の拉致事件を軽く見ていたのは否めない。
だから中東歴訪で欧米諸国、特にアメリカ向けのパフォーマンスに走ったとも言えるのだろう。日本が国際的に評価をされるのは結構だ、だが異なる正義を持つ国(集団)もあるという認識も必要だ。

オバハンはイスラームを奉じる国で40年近く生きている。徒食せず、贅沢せず、目立たず、たまにはコーランの日本語版にも目を通してはいる。20数年以上もの昔からポケット版のコーランも必ず携帯している(姑息にも、万が一を考えて)。だが、イスラム国の武装集団から見ればイスラーム法を正しく実践していないのは歴然だから、オバハンは正真正銘の異教徒だ。