アメリカがタリバーンとの初会談

アメリカがアフガンからの撤退以来、タリバーンと初の会談をカタールで行う。タリバーンが2020年にワシントンで締結した「和平合意」についての再検討だと。何にせよ話し合いは平和への1歩だ。しかし多民族国家のアフガン、まずはよほどの指導者に恵まれ、国民の多くがイスラーム学と共に一般教養を学び、国際協調の一端なるものを知って努力をしない限り平和の構築は不可能に近い。落ち着いて国民が学ぶためには安心して暮らせる日々が必須だし、実に鶏と卵のような関係だから、100年たってもアフガンに平和は訪れないような気がしている。
実は一昨日の10月7日は20年前にアメリカがアフガンを空爆した初日に当たった。思い返せば、その空爆が始まって直ぐ、日本の某TV局からの電話取材「首都のカーブルで空爆が始まったとのことですが、イスラマバードから見えますか?」と。若い女性の声だったが、あれほど驚いた質問も無い。思わず「あのねぇ~大阪から東京の空爆・火事が見えますか?カーブルとイスラマバードは約500kmの距離があるンですよ」と、声が尖ったものだ。優秀な成績でTV局へ入った日本人でさえも、その程度の学識というか認識だ。アフガン人男性ですら半数が自分の名前の読み書きがようやくだ、日々の安心出来る暮らし=勉学に励める環境=平和の構築。しみじみ遠いなぁ~と想ってしまう。

昨昼はタコ焼きに負け、昼寝1時間のつもりで早々とベッドへ飛び込んだが悔しくて神経が尖り寝られず!たかがタコ焼きに・・と思えば思うほど悔しい。時間の経過と共に、だんだん肩や腕が上がらんくらいの痛みになって、クソ!どんだけ祟るのか!そして、ついに息子に肩もみをお願いする破目になった。「なぁ、アンタ、ほんまにタコ焼きだけでここまで肩が張るのか?後期高齢者になるとタコ焼きでこんなに痛むのか?アンタ、きょう何をした?これ筋肉痛やろう?」
言われて思い出した、敵はタコ焼きだけではなかった。西隣の家は2年ばかり空き家になっていたが、そこにパキスタン人の家族が引っ越して来るという。で、昨日は我が家から西隣へ覆い被さっているブーゲンビリアや篠竹、つる性のガジュマルを大量に伐採した。オバハンは本来、作業指示だけなのだが・・高いハシゴを掛けまわし地上7mの足場で作業をするスタッフ、万々が一落ちたら大怪我になると屋上からロープを垂らし、スタッフの身体を安全ベルト・安全環カラビナで確保。オバハンはスタッフのするロープの掛け方などが信用出来ず、安全確認のためにと屋上と地上を何往復したことか。細かい作業指示と共にデカイ枝切りバサミを使って自ら作業も・・こういう時は昔から他人任せにしておけない因果な性格が祟る。おまけに後期高齢者になって疲労のために自分が何をしたのかも忘れるという!?いよいよ末期症状のようだ・・生きるって大変だわ。