スマート・ロックダウン

パキスタンは5月9日まで町の封鎖を延長、ただし「スマート・ロックダウン」だと。モノは言いようだとつくづく実感。「スマート」なる単語がつくだけで、荒々しさを感じる封鎖が一気に緩和された。飢餓線上に暮らす人々が多いインドやパキスタンでのロックダウンは、即、多くの人の飢え死にに通じる。飢え死にを取るか、コロナによる感染を取るか?と問われれば、飢え死にに対する恐怖感の方が切実なのだろう。と、他人事のように書いている自分に罪悪感が生じる。   
日銭を稼ぐ人々のために、「適切な社会的距離が保たれ、マスクと手袋着用が維持されれば業務を再開できる」と、パキスタンもインド政府も緩やかなロックダウンに踏み切らざるを得なかった。しかし市場でマスクや手袋が自由に買えるわけでもない。また社会的距離の意味もが理解出来ない国民が大半だろう。
家のスタッフたちには「外から来た配達人等とは2m離れて話せ」と、オバハンは毎日のように言い続けている。だが、だぁ~れも気にしていない。そんな失礼なことは出来ないと思っているかのようだ。       
ラマザン(聖なる月)が始まり、イスラーム歴1442年間の過去のラマザンとは随分、異なっている筈だ。多くのイスラーム聖地は閉められ、ごく僅かな許された人々のみがモスクでの礼拝を許され、家庭内での礼拝が勧められているというか、許されている。  
個人的な思いだが、パキスタンの中でも最も「問題」なのは連帯感が圧倒的に強い部族社会だろう。部族社会を抱えたKP州、バロチスターン州、シンド州、中でも
KP州では葬式も結婚式も、日々の断食明けの夕食にも、相変わらず人々はごく普通に(オバハンにはそう見える)集まって連帯を強めている。大きい家では100人もの人が普通に暮らす。金持ちであればあるほど大きな家で多くの家族・一族を抱えて暮らす、大家族はステータスでもある。
パキスタンの医師団は政府に対して厳重なロックダウンを望んでいる。KP州だけではなく全国的にも多くの医療従事者が感染している。いかんともし難い状況に心が煮える。